聖書 学院

日曜・水曜に投稿

【思い立ったが吉日】の本当の意味?

自分で自覚している 「意識」 は、「意識」が占める割合のほんの一部で、氷山の一角に過ぎない。

様々な問いに対する「自分にとって」の 「最適解」 は いつも瞬間的に出る。

そう考えてみると、あの日もこの日も そうだった気がする。

ただ 「答え」 というと少しそこには ニュアンスのズレがあると思う。 
「ベストな選択」を無意識は教えてくれている。


ん?どゆこと?笑

つまり、「答え」や「正解」なんてものは日々「手の平返し」のオンパレードで手が付けられない。
大袈裟じゃなく1分1秒 「人は変わる」

また その時その時に聞こえる声【≒直観】は、その瞬間における自分の「ベストな選択」だ。

お金を貯めてから、暖かくなったら、4月から、etc...
明日はもう来ないかもしれない。

来たとしてもその明日は、その新年度にいる自分は、すでに更新されている自分であるので、「今」というそこに立っている人物はあの日の自分とは違う自分であって、

だからもう「あの日の自分」と「今の自分」は全然違う生き物だと私は思っています。(日本語ややこしいけど伝わるよね?笑)

いつだって「足りない」のは、
お金でも、知識でも、才能でもなく「勇気」なんだろうと感じています。

不安は行動によってのみ超えられます。
「不安を超えたから実行できる」のではないんです。
実行したから不安を超えたんです。

【思い立ったが吉日】

1歩踏み出すワタシの勇気のお守りです。