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【聖書】マタイの福音書「今を生きる」

「今を生きる」上で立ちはだかるもの。
それは「不安」
ただ「不安」になったからといって、
事態が好転する事はない。

頭では解っていても「不安」になる。
考えない様にする程、気になってしまう。

誰もが翻弄される「不安」
安心してください。朗報です。

聖書に「答え」が書いてあります。

 

宗教なんて怪しい。
てか「本に答えが書いてりゃ苦労しないよ」

さぁ、どうでしょうか?👀

この記事で学べること

「不安」に縛られない生き方

いってみよー🚗

 

 

 

新約聖書 マタイの福音書「思い煩うな」

※全文

だから言っておく。❶自分の命のことで、「何を食べようか」「何を飲もうか」また体のことで「何を着ようか」と思い煩うな。❶’命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥を見なさい。種も蒔かず刈り入れもせず、倉に収めもしない。だが、あなた方の天の父は鳥を養ってくださる。まして、あなた方は鳥よりも優れたものではないか。❷あなた方のうちの誰が、思い患ったからといって、寿命を僅かでも延ばすことができようか。なぜ衣服のことで思い煩うのか野の花がどのように育つのかよく学びなさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の1つほどにも着飾ってはいなかった。

🕊🕊〜羽休めヒュイゴー〜🕊🕊

今日は咲いていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。ましてあなた方には尚更のことではないか。信仰の薄い者たちよ。だからあなた方は「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」といって思い煩ってはならない。それは全て異邦人が切に求めているものだ。天の父は、これらのものが皆、あなた方に必要なことをご存知である。まず「神の国」と「神の義」を求めなさい。そうすればこれらのものは皆添えて与えられる。だから❸「明日のことを思い煩ってはならない」「明日のことは、明日自らが思い煩う」その日の苦労はその日だけで充分である。

新約聖書 マタイの福音書6章25節〜34節 日本聖書協会

 

❶仏教思想:「煩悩」にも通ずる思想

自分の命のことで、「何を食べようか」「何を飲もうか」また体のことで「何を着ようか」と思い煩うな。

皆さん、優先すべき事を履き違えていませんか?
おいしい食べ物・飲み物、ブランドの服・靴・バッグ、etc...

取るに足らない事にエネルギーを費やして、重要な問題に費やす精神や体力を無駄にする。
(偉そうに書いてる僕も同じです。)

※ちなみに、、
ここの部分、仏教では、どう考えているのか。
ざっくりとですが、釈迦は、

「物事への執着を捨て、それによってあらゆる煩悩から解脱すること。執着による苦しみを離れた生き方、つまり「苦」をコントロールする生き方を示しました。
つまり、「欲望」に呑み込まれてる内は「(苦しみ)ストレス」から逃れるのは無理と言っていました。
 

そしてもう1つの話。
重要な問題ほど「めんどくさい」です。
人間は「怠惰」な生き物ですから、絶対にやった方が良いってことも「大変」だと
後回しにしがちです。

それで何度も反省してきましたよね?
最近も反省してますよね?(僕だけ?笑)

掃除と一緒で動けば「やる気」は後からついてきます。
「あれやんなきゃなー」と思いながらYouTube見るより、

超絶「めんどくさい」けど、超絶「重要」な問題。
クリアしてから堂々と見る。

そんな所から始めてみるのもいいかもしれませんね。

❷「Just do it」

あなた方のうちの誰が、思い患ったからといって、寿命を僅かでも延ばすことができようか。

根っからの「ポジティブ人間」はいない。
僕はそう思っています。

なので、フツーにただ想像に任せて進んでいくと、

「○○になったらどうしよう。。。」という様に
ひたすらネガティブになっていきます。

そして残念なお知らせ。

「たかが人間が不安になって一体何ができると言うのか」

10代の方、「ここから気軽に変えていこう」
20代以降の方は、「いい加減学んでいきましょう」

結果悩みます。ありがたい「お言葉」を聞いても悩みます。

ただ、「あ、自分悩んでるな。そういやキリスト教の聖書とやらでは、意味ないってい言ってたな。悩む悩まないじゃなく、やってみよ。」
ここにスッと自分をもっていくこと。
これが「めちゃくちゃ大事」だと僕は思っています。

最初は10回に1回、それが5回に1回、、、

「明日から」ではなく、「今」から。

「Just do it」


❸「小さな一生」を繰り返して生きている

「明日のことを思い煩ってはならない」「明日のことは、明日自らが思い煩う」その日の苦労はその日だけで充分である。

日々、「朝起きて、夜は寝て」を繰り返しています。
そんな当たり前の日々、こう考えてみると私はしっくりきました。

毎日、朝の起床で「産まれ」、夜の就寝で「死ぬ」

「1日」というものは、一生の「産まれて、死んで」をコンパクトにまとめたもの。

なんだか続いているように勘違いしがちですが、

生きていれば、色んなことが起こります。

誰が別れると思って、結婚・恋愛するだろうか?
誰がうつ病になると思って新しい会社に就職するだろうか?etc...

上げたらキリない数、二転三転していきます。好転も悪転も。

もうグルングルン🌀

どう足掻こうが、「過去は変えられない」「未来はわからない」

だから「今」というこの時を「今」もってるカードで戦う。

明日の苦労は、明日産まれる自分が背負う。
今日の苦労くらい背負ってこうよ。

そして、そんな貴方にだけ、神様は「あなたに必要なもの」を授けてくれます。

「一生懸命に生きる」だけでいい。

そう思います。

まとめ

「マタイの福音書」より、いかがでしたでしょうか?

「んなこたぁ、わかってるわ!出来ないから悩んでんじゃボケぇ」

なんて声が聞こえなくもない小生でございますが。笑

「不安を拭う」のは、「無理」だと僕は思っています。
というより、「不安」“期待”や“希望”の裏返しであり、

必然の存在なので、「無くす」「克服」みたいな考えは「ミスリード」だと解釈してます。

「不安」は膨大なエネルギーです。(解消したい!解消したい!って笑)

向き合い方さえ心得れば、「追い風」になります。

ぜひ、「不安」に縛られない人生を。🕊