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【性について(欲望)⑧】※記録用45日目

えー、まずはおめでとう。自分。

とても精神衛生上、穏やかでいられます。

タイミングがとりにくく記事が2週間ぶりとなってしまった。

なのでこの2週間の内容と、まず目指していた40日を過ぎたことについての振り返りも含めまとめていく。

 

 

2週間のまとめ

⑴「反応からの1歩先」に無理して抑えずとも行かなくなった

どういうことかと言うと、例えば生足を出してスカートを履いているJKが視界に入ります。

このように「思わず」目がそちらに向いてしまうのは良しも悪しもないと思います。

もはや、正常であり、引き続きそうであって欲しいと思います。

 

しかし、私が「こんなの嫌だなぁ」と思っていたのは、「初手の性的刺激を皮切りに妄想が膨らんでいき、その性的妄想に耽っていることを楽しんでいる状態」です。

 

以前は、やはりオナニーをしていたり、何らかの形で性的妄想による脳内分泌(ドーパミンやらエンドルフィンやら)を受けていたので、それによる求心力に苛まれていましたが、それからほぼ解放されました。

※ほぼ、と言うのはまだ断定するにはあまりに早計だという懸念です

このように変化できた大きな理由の1つには、「習慣」のチカラだと強く思う。

 

そもそも人間は本当にラクをするように出来ている」

「努力」の難易度の要因にはこれが大きく関わっています。

つまり今の状態から「変わりたくない」のが人間です。

(基、それが人間の脳の初期設定です。)

 

しかし、遷移期間を一度超えてしまえばもう始めのようなストレスはありません。

なぜなら「変わりたくない今の状態」が新しく上書きされたからです。

思考も行動も「習慣」の成せるワザなんだと思いました。

ドーパミン閾値の正常化を肌で感じる

結論から言うと、「感情のコントロールが以前よりもグッとラクに」なりました。

自分はADHD傾向があって、感情の起伏(喜怒哀楽)が激しい子なんだと思っている節もあったのですが、今はそのように捉えていた時とは打って変わってコントロールできる余地が広くなりました。

感覚としては、ドーパミンの基準点が下がったことで、相対的に幸福度が増したことにより、脳の(=CPU)の余裕とストレス減によりコントロール幅が増えたんだと思います。

おそらくコレだって言える程、単純ではなくもっともっと複合的に進化しているので一概に1+1では筆舌し難いのですが、ドーパミン閾値これが「謳歌」のキーワードになることは間違いないと言えそうです。

ー関連記事ー

www.businessinsider.jp

性欲との向き合い45日目これまでの振り返り

概要

ちなみに、1つの基準軸として、オナニーをしないことに関しては、ここ1年間では最長記録です。

※しつこいようだが、オナニーをしたかしないかは本質的な問題ではない為、俗に言う「オナ禁」みたいに日数をカウントしてどうのこうのではないことに注意。

理由は2つ。

①そもそも二度としないと思っているのでカウントすることの無意味さ。

 『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。 だから。

どうしてあんなに1ヵ月に四苦八苦してどうしようもなかった所からスッと抜け出せたのか改めて整理してみるとキーワードは4つ。

「運動」「神(≒愛)への信頼」「信念」「習慣」

⑴「運動」

かなり大きい。何がいいかってなんせ「天然の自家製 精神安定剤

はっきり言って、SEXよりキモチいい笑

確かに性的快楽はある一部分に突出した攻撃力を有しているが、なんせ諸刃すぎるし、その代償なりの恩恵かと思いきやそれすら虚に過ぎないと言う悲しい結末付き。

私はちなみに、もっぱら「筋トレ」をしています。

これは「置換」にという大事なセクションです。

つまり、「依存」全般に言えますが、何かを取ったら、その枠に何か充てがわなければまた逆戻りするだけです。

「タバコ」でも「お酒」でも「ポルノ」でも「男でも女でも」これは普遍です。

 

そして代用は「運動」が最適解だと私は思います。机上の空論ではなく実践して自分を研究体として確認しているのでより強く言えます。

「神(≒愛)への信頼」

これは「愛」を信頼していなければ成せないことですが、Platonic loveが自他ともに推奨事項なので、そのようにしています。

「愛」がなければ、私も特に何も考えず「いいじゃん、気持ちいいんだから」くらいにしか思っていなかったかもしれません。

⑶「信念」

自分個人のスローガンというか感情として、「理性的でない」こと全般に嫌悪なので、なるたけ「人間」でありたいという思いがあります。

ただ禁欲すればこんなメリットが得られるといった「目的のための手段」ではなく「これが最初から目的」です。

⑷「習慣」

しかし前週に記事を書かなかった言い訳になるが、そもそももう先週の時点で、頑張って書くほどの熱量が失われていた、つまり、もう40日前後で乗り越えた為に自分の中での重要度が下がっていました。

 

まとめ

次に見据えるのは90日後。

私の「習慣」における肌感覚として、40日〜90日間が「残穢」の期間だと思っています。

この間を過ぎれば、「習慣」だった面影はほとんどなくなって行きますが、逆に言えばこの間はまだその気になればすぐに復帰できるような不安定な状態でもあります。

いわば、「消したデータがゴミ箱の中にある状態」が40日過ぎ〜90日前後

今後も引き続き経過を記録していく。

以上。