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聖書読解⑪【マタイによる福音書】

 

 

この1週間の中で考えたこと【マタイによる福音書より引用含め】

⑴「どーせ、死ぬんだから」の精神【マタイによる福音書16より】

これは「近畿大学のスピーチ」にて【本田圭佑さん】も言っていたこともあり大事にしている精神です。

 

人間は往々にして、「成功すること」よりも「失敗しないこと」で生き残ってきた側面があるんだと思います。

 

人間の思考体系やその傾向には、基本的に理由およびbackbone(背景)があると思います。

 

※それを推理するのが人間である故に、もちろんミスリードがあることも少なくないと思いますが、、

 

 

よく文明は進化していても、現代人の脳は「何万年も前からあまり変わっていない」と言われます。

 

私もそう思います。

 

しかし、今のところ、狩猟時代のように1つミスが存続に甚大な影響を与えるなんてことはないと思います。(少なくとも当時程は)

 

結局我々に生得的にある恐怖や不安は死から逆算されたものです。

 

つまり、負の感情を辿って行けばそこには必ず「死」があると思います。

 

「死にたくない」から「仲間はずれになりたくない」し

「死にたくない」から「お金がいっぱい欲しい」し

「死にたくない」から「健康に気を使う」し etc...

 

どうしてSNS依存は強大な引力を持っているのかについても、脳は「人間関係」の情報を最優先事項として捉えているからと言われています。

 

※ちなみにあるデータでは、男性よりも女性の方がよりSNSへの依存傾向が強いとなっています。

それは、女性の方が「コミュニティーを大事にする脳(=キズナ脳)の傾向が強いから」ですね。

president.jp

 

しかし、今の時代は狩猟時代ではないです。随分自然界にある自然な「死」からは遠ざかっているように思えます。

 

その環境の変化と脳の初期設定の差異を俯瞰的に捉え、ズレを能動的に補正していくことがLIFEを謳歌する上で活躍してくれるのではないかと強く思う。

 

エス、死と復活を予告する
 
21このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。
 
 22すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」
 
 23エスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」 
 
24それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
 
 25自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。 
 
26人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。 
 
27人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。
 
 28はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」
 
マタイによる福音書16ー21〜28

 

これが(特に赤の太字)現代にマッチする脳のNew standardなのではないだろうか。

 

 

⑵日本は「不安の国」〜セロトニントランスポーターとの関係〜

セロトニントランスポーターとは?」

 

ざっくり言えば、これは脳内でのセロトニンの再利用を担う部分。

これが日本人は世界的にかなり少ないらしい。

 

※記事一部抜粋

中野 日本では、セロトニントランスポーターが少ないタイプの遺伝子の割合は約8割。アメリカは4割ですから、約2倍です。こんなにも差がつくには、400年くらいの年月がかかるんですね。すると400年前、江戸時代の日本には何が起こっていたのでしょうか。

鎖国……ですか?

中野 正解です。ただでさえ島国なのに、鎖国した。人間の流動性が低いですから、長期的な人間関係が続く。藩や村という、自分がいるコミュニティ内でどう生き延びるかがすごく重要だったんです。「生き延びる」というのは、「自分自身がどう生きるか」もそうですし、「遺伝子をどう残すか」という問題でもある。村八分に遭うと、遺伝子を残せませんからね。社会的な配慮ができる、できないが、そのまま遺伝子を残せる、残せないにつながってくる。必然的に、楽観的でリスクをどんどん取る傾向にあるセロトニントランスポーターが多いタイプの血が途絶えてきて、少ないタイプの血が増えていったんですね。

詳しくはこちら。

diamond.jp

 

最近、ブログ記事で脳科学関連の内容が多いのは、自分がメタ認知について重要視しているからです。

 

ここで言いたかったのは「感情に振り回されるな」ではなく、「感情に騙されるな」ということ。

 

何事にも意味があると思います。その時、その場面でその感情が湧いたことにも、その結果どういった思考になり、どのような行動をとったのかまで。

 

しかし、私が強調したいのは果たしてそれが「自分の望んでいる道でしょうか?」ということ。

 

確かに、大はずれではないと思います。そりゃそう。その為のデフォルトプログラミングですから。

 

しかし、能動的にそれをより個性的なニーズに合わせてコントロールできる、それに不可欠なのがメタ認知です。

 

異性との関係1つ、目標達成のアプローチ1つ、デフォルトのままでは何かと困難であったり、達成できないことが少なくないと思う。

 

恋愛で言えば「ときめき」を「ときめき」のまま訳もわからず支配されたままなのと、

「ときめき」を俯瞰的に捉え、今自分の身に何が起こっているのか客観的に把握し対応していくことで大きく変わることは言わずもがなだと思う。

 

 

マタイによる福音書より引用

安息日に麦の穂を摘む

1そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。
 
 2ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。
 
 3そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。
 
 4神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。
 
 5安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。
 
 6言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。
 
 7もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。 
 
8人の子は安息日の主なのである。

 

映画『ワンダー 君は太陽』で

ブラウン先生が「”正しいこと””親切なこと”か悩んだなら”親切なこと”をとれ」

という場面がありました。

※ブラウン先生が初ではないとは思うが

 

※これについて反論というか屁理屈を訴える輩まではカバーできませんので考慮には入れません。

 

当時イエスは、アホなファリサイ派サドカイ派に、「本質を見失っているまたはそもそも本質を理解出来ていない」所に世話を焼いていたんだと思います。

 

その律法は何の為にあるの?その教えは何の為にあるの?

 

この「全ては一体何の為?」と言ったそもそも論というか、逆算というかが出来ない人が多い、というよりそれが「人間」なんじゃないかとすら思えるくらい。

 

原発問題、大気汚染問題、政治腐敗、戦争問題etc,,,

 

深掘りは敢えてしませんが、どれも共通することは「よくする為に良くない選択肢を取るの?」って疑問が浮かぶ所です。

 

私は「理性」を持った生き物が「理性」を放棄している結果としか思えません。

 

だからこそ、そこを否定する為に、私の哲学のテーマは「人間らしさ」≒「理性」です。

 

メタ認知は神様が人に唯一与えてくれた武器?いや「余地」だと思います。

 

この表現は自分でも少しスピリチュアル強めと感じますが、それくらい感動を覚えるものだと思います。

 

 

まとめ

元々匂いフェチだが、最近はより「匂い」にハマっています。

 

香水とルームフレグランス。いい匂いに囲まれているだけでこんなにリラックスできるんだなと思いました。