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聖書読解⑫ 【マタイによる福音書・箴言】

【マタイによる福音書

⑴「天の国でいちばん偉い者」

1そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」

 

2すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、

 3「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。

 4この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。

 5また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。

 

エス「天国でいちばん偉いのは”自分を低くする者”」と言っています。

一方、地上でいちばん偉い者は、「搾取する者」「偽る者」

 

ここで重要なのは単に「謙れ(へりくだれ)」ということでは無いと思います。

「傲慢になるな」「高慢になるな」「高飛車になるな」ということだと私は解釈します。

 

小さい者のように、幼な子のように、つまり「純粋無垢」に当たり前をただ当たり前にするということ。

 

圧倒的多数の大人が見失っていることです。

「子どもは無邪気でいいよな〜」なんて言っている場合ではないと言うことがよくわかる話だと感じました。

 

⑵「罪への誘惑」

6しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。

 

7この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。 

8もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。

 

 9もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。 

これが優先事項に入っているかいないかでヒトと人に分類分け出来ると思います。

私は「人間」というものは「父親」という存在に成り立ちが似ていると思います。

 

出産したらホルモンによりほぼ自動的に「母親」なる女性とは違い、「父親」というのは男性が「なろうと思って」なるものです。

人間は「二度生まれ」「二度死ぬ」ものと私は考えています。

 

・一度目の誕生は「出産」によるヒトの誕生。

・二度目の誕生は「愛」による人の誕生。

・一度目の死は「心肺停止」によるヒトの死。

・二度目の死は、「誰かも忘れられた」事による消滅死。

この身など所詮は入れ物に過ぎない。

 

⑶「きょうだいの忠告」

 15もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。 

 

16もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは三人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。

 

 17もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。 

 

18よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。 

 

19また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。 

 

20ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。

 

 21そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。

 

 22エスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。 

 

23それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。 24決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。 

 

25しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。 

 

26そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。

 

 27僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。 

 

28その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。 

 

29そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。

 

 30しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。 

 

31その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。

 

 32そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。 33わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。

 

 34そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。

 35あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」

「本当の強さ」とは「許すこと」だと教えてくれた一幕でした。

 

箴言

⑴「プロローグ」

 7主を畏れることは知識のはじめである、

愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。

自分で考えた愚かな権謀術数が何の役に立つだろうか。

 

⑵「父の諭し」

 8わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教を捨ててはならない。 

9それらは、あなたの頭の麗しい冠となり、あなたの首の飾りとなるからである。

 

 10わが子よ、悪者があなたを誘っても、それに従ってはならない。

 

 11彼らがあなたに向かって、「一緒に来なさい。われわれは待ち伏せして、人の血を流し、罪のない者を、ゆえなく伏してねらい、 12陰府のように、彼らを生きたままでのみ尽し、健やかな者を、墓に下る者のようにしよう。

 

13われわれは、さまざまの尊い貨財を得、奪い取った物で、われわれの家を満たそう。

 

 14あなたもわれわれの仲間に加わりなさい、われわれは共に一つの金袋を持とう」と言っても、 15わが子よ、彼らの仲間になってはならない、あなたの足をとどめて、彼らの道に行ってはならない。

 

 16彼らの足は悪に走り、血を流すことに速いからだ。

 17すべて鳥の目の前で網を張るのは、むだである。 

 

18彼らは自分の血を待ち伏せし、自分の命を伏してねらうのだ。

 19すべて利をむさぼる者の道はこのようなものである。これはその持ち主の命を取り去るのだ。

利を貪るほどに一歩、また一歩と「人ならざる者」へと近づいていきます。

その人の目を見れば如何に人間離れしているか分かるし、またその雰囲気やニオイでそれはその人に現ます。

 

単純な資本主義批判だと思われては心外です。

この令和6年、2024年に、世界にまだまだ病気や寿命ではなく、「貧困」が原因で死亡なんてあっていいんだろうか?と問いたいです。

bling-bling(ブリンブリン)とか言ってる知恵遅れに。

しかし持って、愛も「ヒトに真珠」「ヒトの耳に念仏」には気をつけなければいけません。人間ではない、人ならざる「ヒト」が混じっていますから。

【まとめ】

歴史を見ていると「No pain,no gain」とはまさにと感じます。

闇雲に苦しめばいいという話ではなく、「研磨には摩擦が必要だということ」

今の時代、少なからず現日本は「個人主義が歪んでいる」と思います。

「平等」を謳い、「多様性」を重んじた結果どうだろう。

「みんながみんな無責任に言いたい放題、やりたい放題」じゃないだろうか。

金子みすゞさん(本名:金子 テル〈かねこ テル〉)の有名な詩を読むと、

『私と小鳥と鈴と』

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように、
たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

金子みすゞさんが言わんとする「みんなちがって、みんないい。」って現代のようなこんなもんだったんだろうか。

※ちなみに金子みすゞさんは26歳で服毒自殺にて逝去してます。
以下wiki引用  

1927年に夫からうつされた淋病を発病。1928年には夫から創作や手紙のやり取りを禁じられる。1929年頃には病状が悪化し床に臥せることが多くなる。

こうしたことなどから1930年昭和5年)2月に正式な離婚が決まった(手続き上は成立していない)。

みすゞは、せめて娘を手元で育てたいと要求し、夫も一度は受け入れたが、すぐに考えを翻し、娘の親権を強硬に要求。

同年3月10日、みすゞは服毒自殺を遂げ[注 2]享年28(数え年)、26年の短い生涯を閉じた。

上山雅輔は回想録「年記」に「芥川龍之介の自殺が決定的な要因となった」と書いている。 遺書を3通残しており、そのうちの1通は元夫へ向けた「あなたがふうちゃんをどうしても連れていきたいというのなら,それは仕方ありません。

でも,あなたがふうちゃんに与えられるものはお金であって,心の糧ではありません。私はふうちゃんを心の豊かな子に育てたいのです。

だから,母ミチにあずけてほしいのです」という娘の養育を母ミチに託すよう求めるものだった

以上。