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⑤最も優れた道

※引用はコリントの信徒への手紙

兄弟たち、私がこう言うのは時が縮まっているからです。

これからは妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、この世を利用する人は利用しない人のようになりなさい。

この世の有り様は過ぎ去るからです。私はあなた方に思い煩わないでいて欲しいのです。

 

独身の男はどうすれば主に喜ばれるかと主のことに心を使いますが、結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世のことに心を使い、心が分かれてしまいます。


このように私が言うのは、あなた方の益のためであって、あなた方を束縛するためのものではありません。

むしろあなたがたが品位を保ち、ひたすら主に仕えるようになるためなのです

知識は人を高ぶらせるのに対して、愛は人を造り上げます。ある人が何かを知っていると思っているなら、その人は知らねばならないように知ってはいないのです。


神を愛する人がいるなら、その人は神に知られています

 

食物が私たちを神のもとに導くのではありません。食べなくても不利にはならず食べても有利にはなりません。ただあなた方のこの強さが弱い人々のつまずきとならないように気をつけなさい。

 

あなた方は知らないのですか。競技場で走る人たちは皆走っても賞を受けるのは1人だけです。

あなた方も、賞を受けられるように走りなさい。

競技をする人は皆すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。


ですから私は闇雲に走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。むしろ自分の体を打ち叩いて従わせます。他の人に宣教しておきながら、自分の方が失格者とならないためです。

 

あなた方を襲った試練で世の常でないものはありません。神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に合わせる事はなさらず、試練とともに、それに耐えられるように逃れる道をも備えてくださいます。

 

私の愛する人たち、こういうわけですから偶像礼拝を避けなさい。私は賢い人たちに話すように話します。私が言うことを自分で判断しなさい。

 

それどころか、体の中で他よりも弱く見える部分がかえって必要なのです。私たちは体の中でつまらないと思える部分にかえって尊さを見出します。実は格好の悪い部分がかえって格好の良い姿をしているのです。

 

そこで、私は、最も優れた道を、あなた方に示しましょう。例え人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも愛がなければ、私は騒がしいドラ、やかましいシンバル

例えば私が予言する力を持ち、あらゆる秘義とあらゆる知識に通じていても、また山を移すほどの信仰を持っていても、愛がなければ無に等しい。また全財産を人に分け与えても焼かれるために我が身を引き渡しても愛がなければ、私には何の益もない。

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、たかぶらない、礼を失せず、自分の利益を求めず、怒らず、悪を企まない。不正を喜ばず、真理を共に喜ぶ。全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える。愛は決して滅びません。しかし、預言は捨てれ、異言は止み、知識も廃れます。

私たちの知識は一部分であり、預言も一部分だからです。完全なものが来たときには部分的なものは廃れます。幼児だったとき、私は幼児のように話、幼児のように思い幼児のように考えていました。

大人になった時、幼児のようなあり方はやめました私たちは今は鏡におぼろに映ったものを見ていますが、その時には顔と顔と合わせてみることになります。私は今は一部分しか知りませんが、その時には私が神にはっきり知られているようにはっきり知ることになります。それ故、信仰と希望と愛この3つはいつまでも残ります。その中で最も大いなるものは愛です。