感情に振り回されないようにと意識する中で、厄介なのが「怒り」
後から振り返ってみれば、「なんであんな事言っちゃったんだろう」「本当はもっとこう言いたかったのに」となりませんか?
僕は「怒り」に任せると、主導権が「怒り」になる為、「理性」が望んでいる結果にはならない事がほとんどです。
なので、「怒り」コントロールに有効な武器を2つ紹介します。
いってみよー🚗
仏教から学ぶ:三毒
「貪瞋痴(とんじんち)」
仏教で「三毒」と呼ばれています。
「むさぼること」「怒ること」「理非のわからないこと」の3つです。
そして「怒り」についてのエピソード(お経)があります。
その中で「ブッダが詠んだ詩」を抜粋して紹介します。
「罵声・暴言・呵責を用い、とことん相手を言い負かす。
それで勝ったと愚者は思う。
真に勝利をつかむのはただ忍耐を知る者のみ。怒らぬことによってのみ、真に怒りに勝つと知る。
怒りに怒りを返す者、更に悪しき事があり。
怒りに怒りを返さぬ者、実に二つの勝利あり。他人の怒りをよく知って、己を静める熟慮者は、他にも勝ち、また己にも勝つ。
この自と他の両者を癒す者を、愚者だと勝手に決めつける。法を知らざる人々は」雑阿含経巻42ー1152「賓耆迦経」
※こちらのサイトより引用させてもらいました。是非。
「理性」が唯一の推しポイントな「人間」
その人間が「怒り」に振り回されるなんて御免ですね。🍂
セネカ:その場から逃げろ!!
哲学者のセネカさんは『怒りについて』という名著を残してくださいました。
その中で、「怒り」とは:「怒りとは、不正に対して復讐することへの欲望である」と定義しています。
つまり、ここでの「不正」というのはその人それぞれの「自分ルール」
by the way,「常識」とは:各々の自分ルールの最大公約数
「フツー常識で考えたら分かるでしょ」
なんかこの言葉ちょくちょく聞くんですが、「常識」って思っている程万能じゃないんですよね。
何に対しても、「怒り」というのは自分の想定範囲外のものに対する「防衛」なのかもしれません。そう考えると「知らない」ということは恐ろしいことです。
そんな「怒り」への対抗策。
セネカさんは「その場から逃げろ」と言いました。(タイトル通りw)
つまり、「怒り」は衝動的な性質の為、頭を冷やせば「怒り」に勝てるということです。
これは実践して、めちゃ有効打だったので是非使ってください。
まとめ
僕はセネカさんの「その場から逃げろ」が最も実用度高いと感じております。
「逃げるが勝ち」
「怒り」にはバッチリの言葉かもしれないです。
余談ですが、「どうでもいいこと」や「期待してない人」には「怒り」は湧きませんよね?
仏教や聖書が共通して唱えていることの1つに「執着すんな」があります。(仏教は特に)
物や事柄、人に対しても何でも、「執着」するから「怒り」に限らず感情が波立ちます。
感情は色が異なって見えるだけで本質はどれも同じものだと僕は考えています。
「怒り」が転じて「悲しみ」になり、「喜び」が転じて「怒り」になり。
この様にズームアウトして考えると戦うべき本当の相手は「怒り」ではなく「執着」なんだろうなと考えています。
ただ、人間は神様【完璧】にはなれません。
「怒り」と対峙してしまった時、使える武器の紹介でした。