はじめに
記録が久方ぶりとなった。
結論、(脱オナニー58日目)にしてオナニーをした。
その経緯も含め、感じたこと・学んだことをまとめる。
脱オナニー58日目にしてのあっけない敗北
細かい要因は色々だが、結論としては【油断】だった。
情けないと言ったらありゃしないが、ここを誤魔化すと元も子もなくなる気がする。
まず記録しておきたいのが、罪悪感というよりもショックが大きいということだ。
短いスパンでの中途半端なオナニーの場合、【罪悪感】が割合の多くを占める。
しかし、ここまで無理に我慢してたわけじゃなく且つ約2ヶ月も能動的な性欲から離れていれば、非常に心地良く過ごせるという最大のメリットも肌で感じられる領域まで来ていた上でのことだからショックだ。
そして【油断】に繋がる話だが、40日を過ぎた辺りからは、ややしばらく性衝動に苛まれることもなく過ごしていた。
それだけの期間を安息に過ごしていたのは久しぶりだったので、突然訪れた性衝動への対応がおざなりになった。
しかし、それに対する感想としては【そんな足元不安定な状態じゃ遅かれ早かれ崩れたんじゃ、、】という思いでもある。
なので、今一度、なぜキモチいいと感じる【オナニー】をしない道を選んでいるのかを確認した。
決してただの我慢ゲームでもないし、オナ禁によるメリットを得たいという機械的なライフハックでもない。
じゃあ理由は何なのか。それは、、
【私の成りたい人間がしないこと】であり、【尊敬しているイエスの教え】であり、【私の「声」がそれを望んでいるから】である。
ここまで他人には伝わりにくい抽象的な話が続いたかもしれない。
なので、今回のことで深く学んだことを具体的に1つ述べておく。
【「意思」とは「無力」だ】
ということ。
話の流れ上、「お前が単に性欲に負けただけだろうがw w」とツッコマれそうだが、嘲笑したい気持ちは横に置いて中性的に考えて欲しい。
たかが己の意思に如何ほどの【自制力】があろうか。
今回の件で私が犯した過ちは名付けるならば【驕り】であり、
それによって【油断】が生まれた。そうして【主に祈り願うことを見失っていた】
走り出しのワタシは主に祈っていた。そしておっかなびっくり何とか歩んだ先の結果であったのに、自らを過信した。
【人はどうしようもなく愚かで弱い】
これは、全人間に例外はないと学んだ。
ワタシは勘違いをしていた。
【今後一切オナニーをしなければ、不定期に湧き出す性欲に能動的に飛びつきかた快楽に浸り溺れなければ偉くなり、神に1歩と言わずとも近づけると思っていた】
何よりそれが前向きになれるmotivationでもあった。
その思考回路がミスリードだったと学ばせていただきました。
ワタシは主がそれを気づかせてくれたんじゃないかと感じました。
真の過ちとは【二度同じことを繰り返すこと】
「今」にフォーカスを絞り、歩みます。
あぁー、難しい。笑
なっさけねー、、
切り替えてこ。
以上。